2021年3月11日木曜日

石居のお早う日記 2012年  -070-

2月11日 木曜日 晴れ

 元気が出ないので今日も散歩は中止。終日、家にこもっていた。 

 今日は北日本大震災の10周年、あの日の午後2時半過ぎは、上野の東京国立博物館の法隆寺宝物館のレストランで、元同僚の石垣春夫さんとお茶を飲んでいた。すごい家鳴り震動で、床に立っているのがやっとという感じ、管内の大きな柱の根元に立ちすくっでいると広い服のコックさんたち2-3人がキッチンから飛び出してきて屋外に逃げて行った。暫くして、揺れが収まりだしたので屋外に出ようと近くのガラスの扉を開けようとしたら動かない、困っているとウエイトレスの一人が助けてくれた。なんと落ちるいているつもりでいた僕は、やはり動転していたと見えて、スライディングドアを反対に開こうとしていたのである。外に出ると宝物館の前提にある池の水面がまだ大きく波打っていて、通路を水が濡らしていた。JRは動いてないと思たが念のため日暮里駅まで行ってみたが駅は閉鎖されていて入れない。

 上野から帰宅するには歩くしかないと思った。戸田橋を渡って蕨まで行こうかと思ったが石垣さんは東浦和に出てそこから息子の奥さんに車で迎えに来てもらいたいというので、南北線・埼玉高速度鉄道沿いに歩きたいというので、ひとまず王子に向かった。王子で、赤羽行のバスを見つけたのでそれに乗ることにして、まず喫茶店でハンバーガーを食べてから長い行列に並んでやっとバスに乗った。ところが道路は東京から北に向かう車で超渋滞でバス停一つに30分以上かかってしまった。仕方ないので王子に戻り、南北線沿いに歩くことに決めた。1時間ほど歩いてから南北線の駅の地下入り口があったので、ちょっと様子を見ようとして入ってみたら、駅長さんがマイクで今電車が動き始めあと怒鳴っていた。埼玉高速道鉄道にもせつぞっくして羽谷浦和にも行けるとのことなので、さっそく乗り込んだ。

 車内はほぼ全員、都内から崔為メン内に帰る人達で、普段は知らん顔してるのに、今日は親しげに情報交換などしていた。僕は新井宿で埼玉高速線を降りて歩いていくと石垣氏に告げて、下車しようとしたら、近くにいた3人の女性が一緒に行きたいと付いてきた。近くいたお婆さんに一緒に行ってほしいと頼まれていた石垣氏は羨ましそうな顔をして僕に別れを告げた。女性の二人は日本橋の補聴器会社に勤務しているしているOLだそうで、残る一人は九段から帰る途中で幼子供のいつ幼稚園に携帯で電話して連絡がついたとたんに電話の電池が切れたとのことだった。30分ほど歩いたらタクシーの空車が通ったので止めて蕨まで行ってくれといったが東京の車なので他県の意の客はだめだという。こんな緊急時だし、女性3人がいて困ってると交渉してたら、若い女性の3人の方を見て急に態度を変えて乗せてくれることになった。駅の東口で降りて駅を抜けようとしたらここもs入場禁止になっていて駅の中を抜けられない。3人の女性たちと来年の今日の昼にここで再会しようと約束して別れを告げ、近くの陸橋から西口に出て帰宅したらなんとエレベータが留ったままで。7階まで歩いて登らせられた。

帰宅したのは午後10時で歩きだしてから7時間もたっていた。女性たちのの再開は、その日、入試関係の会議かなんかがあって、果たすことはできなかったのは残念だった。



朝はやや寒かった



ほぼ終日晴れ



朝は快晴



遠景もはっきり




スカイツリーも見えた




居間からの夜景




スカイツリーの灯りもよく見えた




今日は屋内歩行だけで3300余歩にとどまった


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