7月9日 火曜日 曇り
終日曇りの予報。腰の痛みのため終日家にこもっていた。今日からしばらくは、家の中にあるものの話題を加えることにした。今日は角飾りの「ちまき」についてとした。
朝から気温は低めで梅雨寒といった感じ
梅雨寒は金曜日まで食らい続きそう
埼玉県に雨域はない
東海から関東にかけて雲がかかってる
梅雨前線はかなり南下している
朝の南東の空は雲に覆われていた
しかし空気は透明で川口のタワーマンションがはっきり見えた
夕暮れになっても曇りだが空気は透明だった
今日は送内を歩き回っていたので2500歩
これは京都の八坂神社の祇園祭のとき購入した角飾りの「粽(ちまき)」です。
角飾りとは家の門口につけて魔除け、厄払いなどにする飾りを言う。
この角飾営の一つ「粽」は、京都の祇園祭の際、山鉾の置き場所で売られる魔除けで、京都では家々の入り口に下げられています。それぞれの山や鉾のものがあります 。例えば菊水鉾、東観音山などです。この写真の「粽」は山鉾の行列の先頭に決まっている「長刀鉾(なぎなたほこ)」のものです。
粽の由来
この「粽」には「蘇民将来の子孫なり」という札が必ずついている。これは祇園信仰の対象である素戔嗚尊(すさのおのみこと)についてのある伝説と関係がある。
私事であるが二十年以上前のことである。当時の東京大学海洋研究所から代々木八幡に向かって、代々木上原の住宅街をあるいていたら、ある一軒の住宅の軒にこれが下がっていた。何だろうと思って見ていたら声をかけてきたおばさんがいた。おばさんに何なのか尋ねたところ「あれはソミンよ、あんたソミンも知らないの」といわれた。おばさんによると、以下のような伝説によるとのことだった。素戔嗚尊が旅の途中、日が暮れてしまったので、豊かそうな巨旦将来の家で一夜の宿を乞うたが冷たく断られた。仕方なく次に行ったのが巨旦将来の弟である蘇民将来の家であった。蘇民は貧しかったにもかかわらず尊を受け入れ宿を提供した。おばさんによると尊はそのあと八岐大蛇を退治し、その帰路、蘇民の家を訪れて、彼に茅(カヤ)を輪にして腰に下げると病を防げることを教えた。その後、村を襲った流行り病によって村人は死に絶えたが、蘇民の一族は生きながらえることができたのだそうである。
私が調べたところによると、もとは日本書紀に出ていた話で「みこと夜ばわりて・・」と書いてあったようで、夜這いの帰りが遅くなって蘇民将来の家に泊めてもらったようである。この伝説はおおざっぱにはおばさんが話してくれたようなものでした。
今でも京都の町をあるいていると、そこら中の家にこの「粽」が下がっている。
0 件のコメント:
コメントを投稿