7月12日 金曜日 曇り
依然として朝から梅雨空。もう開けてもよいころなのに。
今日の話はインド初訪問の話
初めてインドの地を踏んだのはまだ30台だった1960年代の前半だった。第一回の国際鳥類内分泌学シンポジウムに出席するためカルカッタに行った。日本から10人近い研究者が参加したと記憶している。
オーガナイザーのカルカッタ大学のゴーシュ教授の手配でカルカッタ空港に待っていた小型バスで市内に向かった。なんとバスは州警察の数人の武装警官を乗せた2台のジープで前後を護衛されていた。当時のカルカッタ市内の道路には大勢の難民が路上生活をしていた。
気配りの深いゴーシュ教授は私を含む国際委委員には世話係として女子学生を一人づつつけてくださった。私の世話係はシュナンダ(仮名)いう名の大学院修士課程の美しい娘さんで、大学院の男の子たちの人気の的だった。よく気が付く人で会期中いろいろとお世話になったのだが、会の終わりも近づいたある日、彼女はおずおずとお願いがあるのだがと私にいった。
彼女は親御さんから勧められた縁談があるのだが、それから逃れるため、私のところの博士課程に入り勉強を続けたいというのである。彼女の家はかなりのお金持ちではあるのだが、当時のインドという国の経済状況でからでは、日本では奨学金を取ってあげないと暮らせない状況だった。当時まだ若くてかけだしの私には、彼女にそれだけのことをしてあげる力もなかったので、気の毒だったが断わらざるを得なかった。
インドを出発する日、彼女はお餞別にと素敵なネクタイピンと金属製の二つの鳥の人形(下の写真)を手渡してくれた。こういった金属の人形はインドの人たちが寺院に願いを込めて捧げるのに使うものらしかった。
それから1っか月ほどしてから、シュンナダのご家族から立派な結婚式の招待状がとどき、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
60年くらい前の話であるが、今も忘れられない出来事である。しかし、彼女はきっとお金持ちの立派な奥様として暮らしているのだと思う。
60年くらい前の話であるが、今も忘れられない出来事である。しかし、彼女はきっとお金持ちの立派な奥様として暮らしているのだと思う。
以下今日の日記
今朝も20℃以下と涼しい
雨域は本州の北半分になった
衛星写真を見ても雲が北に偏っている
梅雨前線の一部が途切れてきた
5時ころの空は暑い雲に覆われていた
小雨が
遠方は霞んでいる
雨域は東の海上に移っていった
午後には南の関東が雨域に入った
夕景。まだ少し霞んでいる
終日家にこもっていたが歩数は1000歩を超えていた
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